世界5大ウイスキーのカナディアンの歴史とは
カナディアンウイスキー(Canadian whisky)は日本では世界5大ウイスキーの生産地(スコットランド、日本、アメリカ、カナダ、アイルランド)のひとつに数えられています。
もともとカナダと言えばビール造りが有名ですが、17世紀後半にビールを造っていた醸造所に、蒸留の装置が併設されてウイスキーの生産が始まったとされています。
18世紀に入るとオンタリオ州の五大湖周辺で蒸留が行われるようになります。その後、ウイスキーの生産が本格化したのは、アメリカ合衆国の独立戦争(1775年4月19日から1783年9月3日まで)後のことです。
スコットランドのウイスキー蒸留技術で発展
当時はまだイギリスの植民地であったカナダに、アメリカ合衆国の独立に批判的なイギリス系の農民が移住して穀物の生産を開始します。
そこから、スコッチの技術が持ち込まれたと言われています。ところが、やがてカナダでは穀物の過剰生産が深刻となります。
そこで、大量の穀物を処理する方法の一つとして製粉所が蒸留器を購入してウイスキー造りを始めるようになり、蒸留所が続々と誕生していきます。
やがて、蒸留業者も現われて1840年代には200以上の蒸留酒の蒸留所が稼動していたとも言われます。
とはいえ、当時のカナディアンウイスキーは蒸溜後、数日で出荷されていた熟成されていない蒸溜酒。劣悪な品質のため「one day whisky」などと呼ばれていました。
この時代の1856年、現在のカナディアンウイスキーの代表的銘柄「カナディアンクラブ」の蒸留所がオンタリオ州のウォーカーヴィルで創業します。
とはいえ、1870年代から1880年代は米国のウイスキー造りも盛んだったため、当時は大量のバーボンが非合法的にカナダに密輸されていたとか。
それが逆転していくのが、1920年にアメリカで施行された禁酒法。ウイスキーが自国で調達できず、アイリッシュウイスキーも輸入できなくなった状況で、カナダから米国へカナディアンウイスキーが大量に密輸されるようになります。
そのルートというのがアメリカ合衆国及びカナダの国境付近に連なる五大湖。広大な湖面を利用して夜間に紛れて高速船が利用され、禁酒法施行2年後にはウイスキーの消費量が元に戻ってしまったのだとか。
アメリカで強い支持を受けるカナディアンウイスキー
デトロイト川をはさんで、カナダ側のオンタリオ州のウインザーで生産されたカナディアンクラブが対岸の米国デトロイト市に大量に密輸されたという話も残っています。
こうして、カナダのウイスキー業界はアメリカの禁酒法の恩恵を受けて飛躍的な成長を遂げただけでなく、品質も向上させ、禁酒法の撤廃後もカナディアンウイスキーはアメリカの大衆に深く浸透していきます。
現在でもカナディアンウイスキーの約70%がアメリカで消費されるほどの地位を獲得することになりました。
日本では一般的に「カナディアンクラブ」が知られていますが、昔から有名な銘柄としてクラウンローヤル、1946年に創業した北米最大のライウイスキー蒸溜所のアルバータプレミアムなどがあります。