アイルランドがウイスキー発祥の地と言われる、いくつかの背景
アイリッシュウイスキー(Irish whiskey)はアイルランドや北アイルランドで生産される、穀物を原料とするウイスキーです。世界五大ウイスキー(生産地)のひとつに挙げられています。
元々は中世の錬金術師が蒸留技術を使い、高い濃度のアルコールを造ったのがウイスキーの始まりとか。口の中で燃え上がるような味わいが不老不死の薬と考えられて、ラテン語で「aqua vitae=生命の水」と名付けられました。
この蒸溜技術が古代ヨーロッパの中部と西部に住んでいたケルト人系「ゲール族」に伝わり、彼らがアイルランドやスコットランドへ移住したときに伝わったのではないかと言われています。
その際、語源となったラテン語がゲール語に訳され、「ウシュク・ベーハー(Uisge beatha)」(またはウシュケ・ベァハ)と呼ばれ、のちにウシュクが訛ってウイスキーになったという説があるんですね。
ウイスキー発祥の地はスコッチではないかという議論もありますが、こんな故事もあります。1171年にイングランド王として初めてヘンリ2世がアイルランドに侵攻します。
東海岸地帯を支配することになりますが、このときにすでに現地では大麦から蒸溜したお酒が飲まれていたという言い伝えがあるんですね。正確な記録がないとはいえ、これらのことから発祥はアイルランドという説が有力のようです。
1608年、ブッシュミルズの町で始まったウイスキー製造。世界市場の6割に
アイリッシュウイスキーが近年の歴史に登場するのは1608年。北アイルランド東北部のアントリム州にある町ブッシュミルズにある、オールドブッシュミルズ蒸溜所に関連しています。
同蒸留所は世界最古の蒸留所とも言われますが、正確には1608年は町全体における蒸溜酒づくりが始まった歴史を示す年であり、蒸留所そのものの創業は1784年なんですね。
島国のアイルランドは国内市場が小さく、輸出指向が高い国です。18世紀には約2,000の小規模な蒸留所ができて、アイリッシュウイスキーはおもにアメリカへ輸出され、19世紀には世界市場の6割を占めるほどの最盛期を迎えます。
当時はウイスキーと言えばアイリッシュという時代。やがて、1826年に画期的な連続式蒸溜機、1831年には改良型のカフェ式連続式蒸溜機が発明されたことが、奇しくもアイリッシュの命運を分ける分岐点となってしまいます。
連続式蒸留機は大量生産を可能にしてくれましたが、連続式蒸留機を導入したのは一部の製造者だけで、大半の蒸留所には不評だったため、彼らは時間のかかる伝統的なポットスティルでの蒸留を続ける道を選びました。
スコッチ大量生産の猛追、アメリカの禁酒法、市場からの締め出しという試練
いっぽう、最新設備を取り入れたのはスコットランドの業者で、この連続式蒸溜機を使って穀類を原料にした新タイプのグレーンウイスキーを造り出します。
その後、モルトとグレーンをブレンドしたスコッチのブレンデッドウイスキーが大量生産されて輸出されるようになり、アイリッシュは主役の座を脅かされるように。
さらに、1919年に主要な輸出先だったアメリカ合衆国で禁酒法が実施されると、多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれ、大手の蒸留所も生産規模を縮小せざるを得なくなります。
ちなみに、この前年の1918年、マッサンこと竹鶴政孝氏が当時勤務していた摂津酒造の阿部喜兵衛社長の命を受け、スコットランドでウイスキー製造の留学を開始しているんですね。
アイルランドでは1922年から23年には内戦が起こります。戦後にはアイルランド自由国として独立しましたが、その報復としてアイリッシュウイスキーはイングランドに市場から締め出されてしまうという事態にもなります。
蒸留所激減の時代に考案されたカクテル「アイリッシュコーヒー」
1939年から1945年までの6年間にわたる第二次世界大戦では、アイルランドは中立の立場を取り、国内の供給を確保するためにウイスキーの輸出は制限されます。
いっぽうで、このときヨーロッパ戦線で戦った多くの米軍兵士にはスコッチが配給され、風味のおいしさを知った帰還兵が、のちにアメリカでスコッチブームを起こす世代となっていきます。
さらに、戦争の終結とともに当時のアイルランド政府は「輸出からは消費税が得られない」という理由でウィスキーの輸出を全面禁止。アイリッシュウィスキーは国内でしか販売されなくなってしまいます。
その後、アメリカの禁酒法廃止後にウイスキー需要が起きますが、弱体化したアイリッシュウイスキー業界は対応できずに衰退しするしかありませんでした。
唯一、明るい話題となったのは1950年代にシャノン空港のバーテンダーであるジョー・シェリダンが考案したカクテル「アイリッシュコーヒー」(←作り方もこちらにあります)が知名度を高めたこと。とはいえ、本格的な復活には至りませんでした。
老舗のミドルトン蒸留所にクーリー蒸留所など、新しい蒸留所が誕生中
1960年代半ばになって、伝統産業を復活させようという政府の政策のもと、残った蒸留所が合併されます。
最後はブッシュミルズ蒸留所、南部で「ジェムソン」を造るミドルトン蒸留所の2つのみになりますが、1987年にウイスキー王国復活をかけて、国策としてダブリンにクーリー蒸留所が造られます(現在はビームサントリー傘下)。
クーリー蒸留所は現代のアイリッシュウイスキーでは珍しいピーテッド・シングルモルト「カネマラ(Connemara)40度・700ml」を発表して大きな注目を浴びています。
その後、1757年創業で閉鎖中だったキルベガン蒸留所も2007年に復活。やがて、2014年くらいからの世界的なウイスキーブームでアイリッシュに転機が訪れます。
人気ウイスキーの原酒不足や価格高騰などにより、世界のウイスキーに関心が向けられるなかで、かつてのアイリッシュウイスキーも再び注目されることになりました。
なによりも、高品質でありながらスコッチほど広く紹介されていないため、プレミアム価格ではなくリーズナブルに購入できることが人気の一因となっています。
ここ3、4年の間に新しい蒸留所が次々と誕生していて、計画中のものも含めると40もの数にのぼるとか。完全復活が楽しみですね。アイリッシュウイスキーの風味の特徴、種類、銘柄は別記事で紹介します。